ネパールで医療活動と病院建設 石田龍吉医師ネパールロルカ郡タバン村在住留守宅大阪府高槻市

 

くネパールの知恵を日本で生かす〉

1月に日本を離れて2か月半、3月末にうえだ下田部病院に戻りました。久しぶりの日本ではネパールへき地での疲れを癒し、調査研究成果のまとめにじっくりと取り組みたいところですが、今回は特別の事情により忙しい日々を送っています。私がネパールでの診療活動を開始するにあたり、うえだ下田部病院の整形外科をいかに継続していくかという課題に、整形外科を立ち上けた一人として微力ながら取り組んできましたが、その正念場にさしかかっているということです。医学生時代の長期ネパール滞在の思い出をたどり、その”原点”からの再出発が 2006年。この9年間、アジアの最底辺・ネパール僻地の地域医療調査研究から学んだことは、日本の地域医療を原点からとらえるの大変役立つはすです。ネパールのへき地の村人達から頂いたこの知恵を、私の9年間のネパール行を物心両面で支えていただいた日本の皆さまに伝えることが私の日本での仕事だと感じています。5月7日の出発まであとわすかですが、この機会をネパールで学んできたことを日本の皆様に伝えるチャンスとして生かすべく努力しています。

編集人 石田先生は12月に日本に帰国されますがご了解をいただいて本文を転載しました。

ネパール僻地医療

私のつれあいが20年前からが登間佐さんの障害のある息子さんのガイドヘルパーをさせていただき、家もご近所、私の整形外科外来も受診されていたので、ホームページには協力したいのですが、土地販売中心の内容を見て私のテーマは場違いと感じました。しかし将来は介護福祉、健康長寿、社会貢献がメインとのお話を聞き引き受けました。

私が初めてネパールへき地に触れたのは医学生時代。山奥を巡る旅の中で世話になった村人たちに「医師になっていつかここに戻ります」と約束。その約束を果たす旅立が59歳。その後18年間の歩みの中で決心したことは「タバン村永住」です。「ヒマラヤのヒンドゥー王国」から世界最先端レベルの平等主義憲法を持つ「連邦共和国」へ生まれ変わる震源地となったタバン村は、ネパール全体のへき地医療の変革、格差のない平等で平和なアジアへの出発点でもあります。  石田龍吉  2024.12.