大日本國國史 三輪廣司三輪商店代表大阪府高槻市在住

大和國 大日本国 三輪廣司

 

 

令和6年は、紀元2684年であります。

昔神武天皇 大和の橿原宮にご即位になり今年は紀元2684年になります。

それまでは大国主神が、大八嶋「主」でありました。

 

当時大国主大神は高齢になっておられたようで末子の八重事代主大神がこの御嶋で政事を摂っておられました。

早い話が大和朝廷の前はこの御嶋に朝廷がおかれていたと思います

紀元元年には事代主大神の女蹈鞴五十鈴命が皇后に立てられました。

兄命の鴨王は磯城県主に紀元二年には國進県主となられました。

 

縄文の大昔からの神々の代表が大国主大神です。代々の大神が統治された大和國から天皇統治の大日本國へと國譲りされました。

それが紀元元年で今年は紀元2684年になります

世界に国は多くありますが、我大日本国程尊い国はありません

日本人は日本国民として先祖を尊び国史と伝統を誇りに思わなければなりません。

「氷川神社に下されたる勅書」 慶應四年(紀元2528年)三月十四日

『勅す』神祇を尊び祭紀を重んずるは、皇国の大典にして政教の基本なり。

然るに中世以降、政道漸く衰へ祇典挙がらず、遂に綱紀の不振を馴到し、朕深く之を慨く。

方今、更始の秋、新に東京を置き、親臨して政を視る。

将に先ず紀典を興し綱紀を張り、以て蔡政一致の道を復せんとす。

乃ち武蔵國大宮駅氷川神社を以って当國の鎮守と為し親ら幸して之を祭る。

今より以後歳に奉幣使を遣し、以って永例と為す。  御諱

中世以降とは、奈良朝以降凡そ、1400年程前の頃とおもいます。

第29代欽明天皇 13年(紀元1212年耶蘇552年)

天皇 詔して(すめらみこと みことのりして)西蛮が献上した仏像の容貌は荘厳で美しく今まで全く見たことがない。礼拝するべきかどうか。

西蛮(西方の外国人:)

蘇我大臣稲目 西蛮諸国は皆こぞって礼拝しております。豊秋日本(とよあつきやまと)だけ背くわけにはゆきません。

物部大連鎌子  十神を春夏秋冬にお祭りしてこられました。 今それを改めて蛮伸を礼拝なされば、おそらくは、国神の怒りを受けるでしょう。

天皇 日(のたま)はく 『奏上のとおりとせよ』

役人は、仏像を難波の堀江に流し棄て、寺に火をつけた。   続く

 

 

 

氷川神社に下されたる勅書

紀元2528年慶応4年戎辰3月14日

勅す。

神祓を尊び祭祁重んずるは、皇国の大典にして政教の基本なり